■中国の石碑■ |
当該ページの最終更新日=2009.10.23 |
『碑』とは前人の勲功を後世に伝えるため、堅石に文を刻み建てたものをいう
石碑自体はドルメンの進化版とお考えいただくと良いだろう…と私は考える。 中国碑の祖とされる石碑は1996年に河南省新鄭の黄帝故里より西に 600メートルほどの場所で発見された『中華第一碑』と称される無字碑とされる。 この地は戦国期に韓の城があった場所で、場内韓国宗廟の遺跡より出土している。 花崗岩質の石で高さ326㎝ 碑幅45㎝ 、中心下部に圓孔がみられる。 しかしながらこのドルメンは「碑」とは異なり、天文観測の日晷という見方が強い。 左:黄帝故里前庭に置かれているレプリカ 右:とある場所に保管されている本物の中華第一碑 一般に碑身は縦長の方形。碑首は方形、半円形、圭形(三角形状)などがみられる。 碑文は表(碑陽)のみ刻まれているもの、表と裏(碑陰)の両面、側面(碑側)も入れて 四面のものもある。漢から北魏あたりでは稀に碑首中央に穿(せん)と呼ばれる 圓孔が見られるものもある。 この漢碑や古代碑は、下記に挙げたような碑とは異なり、 単純な石碑と思っていただけるとよいだろう。 三国を経て、南北朝時代以降は「各部の名称」で記したような 碑首・碑身・碑座という主要三部分からなる石碑が確立する。 |
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碑首のいろいろ | ||
〔東漢156〕 礼器碑 | 〔東漢158〕 鄭固碑 | 〔東漢164〕 孔宙碑 |
〔東漢185〕 鄭季宣碑 | 〔東漢168〕 衡方碑 | 〔東漢186〕 張遷碑 |
〔西晋〕 侯村失名墓神道石柱(参考) | 〔南梁〕 梁文帝肖順之建陵墓石柱(参考) | 〔北魏519〕 賈使君碑 |
〔北斉〕 蘭陵王碑 | 〔隋611〕 陳叔毅修孔子廟碑 | 〔唐744〕 大乗寺碑 |
〔唐745〕 石台孝経碑 | 〔南宋1167〕 大乗寺鋳鐘銘碑 | 〔金1182〕 大金重修東岳廟之碑 |
〔元〕 天歴家譜碑 | 〔元〕 孔子加号碑 | 〔明〕 韓城県儒学記碑 |
〔明〕 漢寿亭碑 | 〔明〕 茂陵聖德碑 | 〔明〕 レイ泉碑・・・サンズイ+豊 |
〔清〕 漢光武帝墓碑 | 〔清〕 万佛楼石碑 | 〔清〕 張照書韓愈石鼓歌碑 |
〔清乾隆1795〕 宋人府領恩碑 | 〔民国1934〕 金韵梅墓碑 | 〔民国〕 馬駿墓碑 |
〔近代〕 大禹廟遺蹟紀念亭碑 | 〔近代〕 元大都遺構碑 | 〔近代〕 阿倍仲麻呂詩碑 |
碑座のいろいろ | ||
〔南梁〕 梁文帝肖順之建陵墓碑 | 〔隋唐〕 揚州城残碑座 | 〔北宋〕 篆書千字文序碑 |
〔南宋〕 失名墓碑 | 〔元〕 孔子加号碑 | 〔明〕 成化碑 |
〔明〕 ユウ里城記碑失碑身 | 〔明〕 岳廟題名碑 | 〔明〕 趙武霊王叢台遺跡碑 |
〔清〕 福陵聖德碑 | 〔清〕 孔廟雍正御碑碑 | 〔清1750〕 巡視永定河御制碑 |
〔清1906〕 慧仙女工学校碑 | 〔民国〕 袁世凱墓碑 | 〔民国〕 馬駿墓碑 |
石碑の種類 |
①墓碑 |
石碑中最も多いものがこの「墓碑」。 碑文には死者の姓名、生年没年、仕事や人柄、 家族のことや墳墓の位置などが刻まれている。 皇帝や貴族の墓など規模が大きなものには 「神道碑」や「聖徳碑」などが見られ、これらも 墓碑の一種である。 北京では「耶蘇会士墓碑」も多く見られる。 耶蘇会とは日本で言うところのイエズス会だ。 |
②功徳碑 |
紀念碑の一種であり、教育や事業に対して 貢献した人物や機関を表敬する意味で建てら れた石碑。「重修○○記碑(○○は廟や建造物)」 や「○○封碑(○○は人物名)」もこの類の仲間。 |
③学校碑 |
古代中国には中央と府・州・県に学校が置かれ、 多くの場合、孔廟と同居または隣接していた。 隋代が始まりとされる科挙の合格者名を記した 「進士題名碑」や孔子を讃えた石碑、学校制度 を記したものなど様々である。 |
④紀功碑 |
いわゆる戦争勝利記念碑のこと。 主に祖国統一や民族団結を目的とした戦役を 記したもの。碑文内容は様々で、『戦役』説明と いうよりは関わった人物を讃えるものや 遠征時の兵威や兵役制度、辺防のための 長城修築、勝利後の城郭整備内容など。 |
⑤水利碑 |
正式には「城建水利工程碑」と言われ、その名 の通り大規模な工事が行われた際に建てられた もの。竣工期日や工程内容、携わった機関や 人物などが記され、その城市の歴史を知る上で 非常に貴重な文献とされる。 |
⑥宗教碑 |
佛教・道教・伊斯蘭教・西蔵仏教などの 宗教施設に建てられた石碑を指す。 場所は佛寺・道観・教堂・礼拝堂・宗教墓地。 施設の創建紀念や寺院修繕時の記碑、 宗教活動を記したもの、高僧招聘時のものや 宗教節時を記したものなど様々である。 |
⑦会館碑 |
この碑が見られるのは、北京や古代王朝が 置かれていた場所に限定される。北京の場合、 歴代科挙試験が行われる際に地方ごとに 宿泊施設や教鞭の場が設けられたことに 始まる。省や府、州の名の付いた会館碑を 見ることができる。 |
探究心はどこまでも… | |
中国には碑林と呼ばれる屋内外の施設が200以上も存在する。 その殆どが屋外展示であり、文物にとっては悪い環境であるが、 鑑賞にはもってこいだ。余裕があったらその碑林の周囲を散策してみよう。 必ずと言っていいほど修復工房があるはずだ。 文物管理所や施設裏庭などがそれにあたる。 唐代以前の残碑にはなかなかお目にかかれないが、 ここでは多くのことを学べるに違いない。 運がよければ修復作業風景もみることができる。 また、新碑作製現場に遭遇するかもしれない。 最近は電動工具が用いられることも多いが、 要碑であれば手刻作業が見られるだろう。 ゴロゴロ転がっている文物ならば管理処の採拓許可を得やすい。 お気に入りの書体を見つけたらあなただけの拓本を作ってみては? |
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